八聖殿郷土資料館

1階展示室

1 横浜の海の変遷

昭和30年後半から昭和50年代初頭に横浜沿岸が埋め立てられるまで、本牧から根岸、磯子、金沢までの海は魚介藻類に恵まれた豊かな海で、漁業が盛んな町でした。潮干狩りや海水浴なども楽しめました。

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2 本牧で行われていた漁業

本牧は東京湾に突き出た岬の地形となっていました。先端部には潮流がぶつかり、海底の地形が複雑になっています。
岬の海底にあった突き出した岩場は、海藻やプランクトンが繁殖し、それを食べる小魚、更にその小魚を食べる魚がという具合にたくさんの魚介類が集まるので豊かな漁場でした。

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3 海苔つくり

本牧で海苔の養殖が始まったのは、明治40年代以降からです。本牧の海は遠浅で栄養分が高く、海苔の生育条件に適していたことから、国内でも最上級品として評価され、取引されました。

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4 本牧の歴史

本牧の地形は、丘と谷戸が入り組んだ地形です。これらは約2万年前と6千年前に起きた地球の気候変動が関係していると考えてられています。
幕末、関東大震災、太平洋戦争と激動の時代を乗り越えて、現在に至っています。

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2階展示室

1 年中行事とお馬流し

かつては季節の節目となる特別な日(晴れの日)に年中行事を行いました。正月から始まり、豊穣・豊漁祈願、収穫祭など、農村、漁村、門前町などに合わせ、様々な行事がありました。
本牧では永禄9(1566)年から『お馬流し』と呼ばれる行事が受け継がれています。

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2 農具と工夫

農耕用の家畜は古代から馬と牛という傾向があったようです。その馬と牛を引かせて、田畑を耕していました。また様々な道具を使っていました。
昭和30年代に入り、農具が機械化されるまで主として馬、西日本では牛を使っていたようです。

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3 リサイクル

江戸時代では穀物や野菜を食料とし、藁(わら)は馬や牛のえさや生活用品として使えるようにしました。使用不可能になったものは土に戻して肥料として使用しました。古着や傘などは修理をして再度使えるようにしました。

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4 古民家

八聖殿郷土資料館の中に展示されている古民家は江戸時代の終わりから明治時代初めに建てられた旧松沢家住宅です。昭和47年(1972年)解体されましたがしたが、接客に使われた部屋の一部を復元しています。

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5 横浜と生糸

幕末、横浜が開港すると横浜から世界に向けて大量の生糸が輸出され、最盛期には世界の生糸の70%以上が日本産のものとなりました。日本は生糸の輸出で外貨を獲得し、近代化を推し進める原動力になりました。

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6 本牧の偉人伝

本牧のゆかりの実業家、文豪、画家などが活躍していました。
それぞれの偉人が活躍していた様子をご紹介していきます。

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